杜の都のシンボル「青葉通りケヤキ並木」は伐採の危機にある

                       山東 良文


 いま、仙台市は、地下鉄建設のため杜の都のシンボルともなっている青葉通りのケヤキ並木を伐採しようとしている。 計画の常道を無視して南町通り(旧多門通り)等、複数の代替ルートを比較検討することも無しにである。
何のために?


 この写真は、私の家のベランダから眺めた仙台青葉通りのけやき並木である。
これを私の友人に見せたら、新聞記者 だった彼は、ウクライナのキエフを思い出すと言った。前大戦で、ドイツ軍の侵攻により街が廃墟となった痛々しい歴史 があるそのまちが、戦後、喪失した街路樹を取り戻すために樹を植え、大事に育ててギネスブックにも載るようになっ たというのである。
 戦争に敗れ、仙台に帰ってきたとき(一九四五年)私が見た街は、空爆ですっかり焼野が原になっていた。戦災の廃墟 を歩くのは疲れる。まちをアメリカ兵が、サケ、酒!と叫んで、寄って来た。
この心身ともに疲れきった空っぽの焼け跡のまちを、やがて岡崎市長が中心になり、国も市民も一緒になって戦災復興 の都市計画に立ち上がった。
四十八人の市議会議員も、一本ずつのケヤキを寄贈した。皆一生懸命だった。

 青葉通りや定禅寺通りのケヤキ並木は、戦災復興事業で新しく生まれた街路である。 戦前、屋敷林で青葉城址からの眺望が特に美しかった杜の都は、これでやっと新しく面目を保つことができた。
ケヤキ並木は、いわば戦前の杜の都の申し子として、人々の心の中でその美しさを承継した。そういうわけで、ケヤキ 並木は戦前から戦中、戦後と移り変わる時代を記憶している。また、戦災復興事業に捧げた多くの人々の魂が刻み込ま れている。いまや歴史的遺産である。
これが、いま、伐採される危機に直面している。数年の工事期間の後に植え替えればいいと市当局は考えているようで あるが、これは植え替えて済むことではない。ケヤキ並木は、代替できる単なる緑のモノではないのだ。
 私は、会う人誰にでも、この仙台の景観と歴史を守ることに協力してくれるよう、お願いしている。
仙台を訪れた木原啓吉氏((社)日本ナショナル・トラスト協会名誉会長)は、市議会議員によるケヤキの寄贈は日本におけるナショナル・トラストの始まりかも知れないと称えた。

 (二〇〇四年五月二〇日)

 

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